こんな記事を書いてみました。
たまーに帰省したりして、懐かしい友達とまとめて会う予定、という人もいらっしゃるのでは無いでしょうか。
私はかれこれ大学を卒業してから12年が経過しました。
みんなそれぞれの道に進んでも、毎年年末に集まるのが恒例になっています。
就職して10年以上経過すると、如実に差が出てる
フリーで専門的な仕事をする友達や学校の先生、家業を受け継ぐ友達など、みんなそれぞれの道を歩んできました。
そこで、久しぶりに会うと明らかに感じることがあります。
それは、「ああ、コイツの将来が見えたな」という感覚です。
10年経過すると、友達が今後どうなるかが読めます。
主に、友達の中でも、未来に関して2パターンに分かれます。
絶えず動き続けているので、まだまだ環境が変化していきそうな友達。
行動がパターン化して固定化されているため、現状から何も変わらなさそうな友達。
前者は動き続けているためにまだまだ可能性を感じるのに対して、後者は「出来上がってしまった感」がすごいのです。
この出来上がってしまった感がある友達は10年後も対して変わっていないと、自信を持って感じています。
年末に友達と会って話をするだけではなく、せっかくなら今後の変化についても考察してみてはいかがでしょうか。
ここで、久しぶりに友達と会って考察するためのポイントをご紹介します。
深い会話をするために、一緒に1泊するのがおすすめ
久しぶりに2-3時間、一緒に飲んだりするだけでは、その友達の今後の本当のビジョンや現在地点はわかりません。
表面的な近況の話だけで2時間程度ならゆうに過ごせてしまいます。
一番良いのは一緒に集まって一泊するのが一番良いです。それだけまとまった時間をかけて、言動や所作、佇まいをチェックしてみると、大体のことは把握できてきます。
久しぶりに会って、ひとしきり会話が盛り上がった後の間が生まれる瞬間とか、微妙なタイミングで本音がポロリと出てきたりするのも、本当におもしろいポイントではないでしょうか。
そもそもは年末に気心の知れた仲間と大笑いするのが目的だが。。。
年に一回だけ友達と集まる時は、大抵は気を使わずに大笑いするため、と相場は決まっています。
過去を知っているからこその安心感と安定感はすごいですよね。
楽しければそれで良い、この共通の価値観に醸成された雰囲気をみんなで分かち合っています。
しかしながら、10年も経過するからこそ見える、その友達の現在地点。
例えば以下のような時に顕著になります。
変化が予想されない友達の抱負は外部環境に関する発言をする
これははっきりとした特徴だと思っています。
- もっと嫁からの小遣いがほしい
- 仕事が忙しいのが、きつい
仕事が忙しいというなら、業務効率化について前に進めるための話をすれば良いのに。。。と思ってしまいます。
小遣いを増やしたいという夫の願望は、嫁に家計を握られている感が露呈するばかりか、それなら収入を上げるために何を実行すれば良いのか?という視点が全く欠けていました。
行動に移さないと何事も変わりませんので、そのような状態で止まっているということは今後の成長は見込めません。
来年の目標は?と友人に聞いて帰ってきた答え
- 仕事が忙しくないこと
- 家族全員健康に過ごすこと
これは、総じて何事もなく平凡に暮らせればそれで良いということにしか聞こえません。
課題意識が無いために、完全に思考停止しているように思えました。
そういった意味で、日々課題に感じることや理想を追い求めることは、ストレスである一方で本当に尊いことなんだと改めて実感しました。
たしかに家族全員健康というのは、最も重要なテーマではありますが、現代の日本においてよっぽどのことがない限りは健康に過ごせますよね。だからそれは最低限で、目標にすべきでは無いということが超簡単にわかります。
これが睡眠時間も確保できないような過酷な状況なら話は別ですが、その友達は毎日18:00には仕事を終えているような生活です。
インプットの質が圧倒的にやばい
そんな、何も成長が見込めない友達の日頃のインプットや、経験は何かと聞いてみました。
すると典型的なやばいインプットしかしていません。
スマホゲーム
お笑い鑑賞
日頃は仕事で、帰ったら家族との時間など、自分の時間というのはとても貴重なはずなのに、そんな大衆的で得るものが少ないインプットしかしていませんでした。
流石にアラフォーになってそんな生活、危機感無さすぎて恐ろしくなりませんか?
今後、そういう友人の行動はフォーマットが変わるだけで永遠に受信し続ける存在になりそう
そのやばい友達は、主にHuluやネットブリックス、amazonプライムビデオなど、ネットの番組をメインに視聴しているようでした。
さすがにテレビが面白く無くなったので、そういったチャネルに移行したということです。
今後も、同じような行動が予想されます。ネットテレビが面白く無くなったら、また真新しいチャンネルを見つけて視聴、というのを繰り返していくのではないでしょうか。
おもしろいということを共感できなくなる
もう、そうなると単純な笑い以外で「おもしろい!」と感じる話題も噛み合わなくなりますよね。
ネットの特性として「パーソナライズ」された、その個人に最適化された情報の精度がどんどん上がってきて、そんな情報の受信しかせずアウトプットしていない友達は、むしろネットを使っているのかネットに使われているのか、ますます怪しいと思えます。
アウトプットが無いと人間らしくいられない
結果としてアウトプットは人間個人の表現なので、常々重要というのを体感した感じです。
おそらくこの予想は間違っていない
この10年後も変わらない友達の予想というのは、かなりの確率で間違っていないという自信があります。
私は基本的に、相手は変えられないと思っていますし、中途半端に耳の痛いことを言うと関係が悪化するだけで終わると思っています。
友達なので、お互いに楽しければ良いし、相手としても友達から面倒な話は望んでいないはず。。。
これが「一定の年齢になったら、まわりから何も怒られなくなる」ということなんでしょうか。
そんな年末の集まりでした。
皆さんも、久しぶりに会う友達の少し先の未来を予想してみてはいかがでしょうか。