上司というのは偉い人ではなく「ただのおっさん」だと認識することの重要性

肩書きを外したときに、その人本来の実力が見れる。

 
 

そう、昔から言われてきた。

 
 

しかし、肩書きというのは厄介だ。

 
 

営業本部長、と名刺に書かれているだけで、相手がやり手に見える。

 
 

参考文献:

 
 

肩書きがあるだけで、なんとなく優秀で権威があると人は感じる。

 
 

本当に実力があるかどうかはわからない、その前提を理解していても、そう感じてしまうのが人間である。

 
 

 
 

私の周りには、上司に追い込まれすぎて病みそうな営業マンが数名存在する。

 
 

そう、偉い肩書きを持っている上司から執拗に詰めら続けて、その結果病むのである。

 
 

「営業として、上司からのツッコミどころを与えてしまう本人の責任では?」

 
 

そう聴こえてきそうだが、それはややこしい上司を経験者したことの無い者の声だろう。

 
 

本当に面倒な上司というのは、とても細かい、細部の話を拡大して、それを人格否定に持ってくる。

 
 

細部のスキという材料を拾い集めて、これでもかいうくらい、大きな大きなゲンキ玉に仕立て上げて、本人にぶつけてくるのである。

 
 

「そもそも、本人が数字が悪いから怒られるのでは?数字が良ければ上司もそんなに怒らないよね?」

 
 

たしかに半分はそうである。しかしもう半分は違う。

 
 

私は法人営業の仕事をやっているが、「担当先が簡単な顧客だから売れた」ということはないだろうか?

 
 

法人営業をする以上、「担当先」という変数があまりにも大きすぎる。

 
 

担当先とタイミングの掛け算で、売れるか売れないかはある程度決まる。

 
 

これは営業力の範疇の外だ。

 
 

つまり、売れたという結果に対して、人は往々にして売れた営業マンは営業力があると勘違いしがちである。

 
 

売るという結果を作るために、営業力という要素はぶっちゃけ全体の2割程度ではないだろうか。

 
 

その意味で、営業力というのは過大評価で、人が抱く幻想になりがちだ。

 
 

しかし、上司という存在はどうだろうか。

 
 

上司は、部下が売れなかったという結果に対して「営業力がなかったから」だと判断しがちな生き物である。

 
 

そもそも、部下が営業という試合をしている最中に、セコンドから声を張り上げて本気で戦い方を変えさせようとするくらいに無理ゲーな場合もある。

 
 

柔道の試合と同じように、現場で始まっている試合の流れを観客席からの指示で変えることはできない。

 
 

むしろ変に時間や意識を取られるあまり、本来の力を出せないため、負ける確率が高くなる。

 
 

もちろん事前準備の段階では上司のアドバイスを聞く価値はある。

 
 

試合中にホウレンソウを求めてくる上司は部下に対して「一輪車で綱渡りをしながらカレーを食え」と言ってるようなものである。

 
 

試合中の上司の声を聞くに値しない以上、上司の発言は、観客席のただのおっさんの応援と同義だ。

 
 

しかし、往々にして日本の真面目なサラリーマンは上司というおっさんに傾聴してしまう。

 
 

上司が自分の采配を握っていると感じるため、だ。

 
 

ここで本題となる、「上司はただのしょうもないおっさんだ」と思っておくことがきわめて重要だ。

 
 

しょうもないおっさんが、なんらかのヤジを飛ばして、自分の試合を観戦していると捉えてみれば良い。

 
 

このマインドセットを取り入れることで、自分本来の戦い方に集中できる。

 
 

その一方で、行動は感情と分けて、適度に上司を敬う態度を見せれば良い。

 
 

それも、70-80点くらいを目指して行動すれば十分だ。

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